「感動」してから考える
昨日の記事で、
芸術に触れるときは、
まずは何も考えずに触れてみる
というお話をしました。
そこで得られた感情が、
「面白い」
「つまらない」
「なるほどな」
「感動した」
などと分かれるのが、
自然なことだと思います。
ただ、ある心理学の学者さんによると、
「感動とは思考の後に生じるもの」
という考え方もあるそうです。
例えば、
音楽を聴くときには、
「このメロディーは美しいか?」
「この音色は温かく感じるが何故だろう?」
と考え、
その原因が分からず、
自分の考えを超越していたときに
感動が生じる
ということらしいです。
絵画ならば、まずはじめに、
「この構図はダイナミックか?」
「この色使いは美しいか?」
と思考を巡らせるのだそうです。
私は正直、この理論には賛成しかねます。
むしろ順序が逆だと思います。
感動して、
一旦落ち着いて、
その後、思考する
という順番かなと思います。
何か芸術に触れ感動したときは、
得も言われぬ感情、
つまり言葉で説明できない感情が
沸き上がり、
その後、落ち着いてから、
「どうしてだろう?」「なぜだろう?」
と考えたくなる、
もしくは
考えようとも思えない…
(それぐらい圧倒された…)
そんな状態になった時の方が
強く「感動」していると思います。
感動している最中の脳というのは、
与えられる情報量が多く、
また脳の処理が追いつかない
そんな状態にあると推測できます。
ただし「共感」の場合は、
少し違うのかも知れませんね。
子供の成長に感動するのと、
高校野球に感動(共感)するのとでは、
ちょっと違いますよね。
共感の方が、少し冷静に、
情報処理をしているようにも感じます。
前出の学者さんは、
こちらの共感をベースに
感動について研究されたのでは
ないでしょうか。
自分の経験からすると、
本当にすごいと思った音楽に
出会ったときなんかは、
興奮と、鳥肌と、
「なんじゃこりゃ〜⁉︎」<< うような驚きと、、、 といった感じで、 説明不能の状態に陥ります。 の”意識側”の情報処理が<< つかず、、 それでもなお”無意識側”に<< が押し寄せてくる んな状態ですね。 れは明らかに<< 考した後に感動”<< 言えません。 ずれにせよ、<< の作り手の端くれとしては、 お客さんには、<< ーストインパクトを大事にして、<< 考えずに感じて欲しいです。 そこで感動させられたら<< (⁉︎)ですし(^^) そしてもし、作品を気に入って、も触れていただけるようなら、 アレコレ分析して、考えて、な発見をして、でまた感動してだけたら幸いです。