共感覚
私は文字をみると色が思い浮かびます。
「あ」が赤で
「い」が白で
「う」が緑で…
共感覚とは、
直接関連のない、ある刺激によって
意図せずに起こる
系統だった知覚経験のこと。
つまり、
「あ」が赤である根拠は
何も無いのだが、
赤を思い浮かべてしまうのです。
文字だけでなく、
森羅万象すべてのものの
名前や呼び名、単語について、
色を連想してしまうんです。
意味がわからないですね(笑)
もうちょっと分かりやすく言うと、
曜日を見聞きすると
色が浮かぶひとは多いのでは
ないでしょうか?
土曜日が青で、日曜日が赤。
これは言うまでもなく
カレンダーから来ていると推測できますね。
これは”対応感覚”ですね。
(イメージする色が
決まっているもの、ですね)
このようなことが、
すべての文字単位、単語単位で
起こってしまうのが共感覚者です。
この例は、単語と色の共感覚です。
他には
音を聞いたときに、
その高低に寄って
色が思い浮かぶ人もいます。
聴覚と色が”共感”してしまう人です。
高い音は明るめの色、赤とかピンク、
低い音が暗い色、青や黒、
と感じるらしいです。
(もちろん例外もあります。
人それぞれです)
一般的には、
ピアノが鮮やかな色、
バイオリンが淡い色、
が多いそうですが、
私は違います。。。
多分、音よりも、
「ピアノ」「バイオリン」という
“単語”そのものに
色感が引っ張られているからでしょう。
私の場合ですが、
森羅万象、全ての物の名前に
色がつきまとっています。
トマトやポストから赤を連想するのは、
“対応感覚”そのものですが、
色と関係のない名詞にもついてきます。
分かりやすいところでは人名。
例えば、
小林さんと山本さんをよく間違えます。
木村さんとも間違えます。
全員”黄色系統”なんです。
(「知らねーよ」って声が
聞こえてきそうですが(笑))
私の中では両方黄色系統なので
同じ分類分けをし整理をしてしまうんです。
これは連想のしようがないですよね、
私の脳が勝手に決めてる事ですから。
しかもこの感覚は、
結構な年齢になるまで
世の中の人はみんな持ってる
ものだと思ってました…
共感覚と対応感覚の違いは、
連想ゲーム的に思い浮かべるのか、
自分の意志とは関係なく
思い浮かんでしまうのか、
この違いです。
いずれにせよ、
多かれ少なかれ、誰でも
もっている感覚であることは間違いない。
「うるさい柄のネクタイ」
「あたたかな響き」
「やわらかい言葉」
など、
日常生活の中で共感覚的な比喩表現を
用いることからも、人の脳には
何かしらの知覚の相互作用が働いている事は
間違いなさそういですね。
ちなみに、
音楽を聴いて色だけではなく
絵(情景や心象)が浮かぶ
共感覚者もいるそうです。
その人が描いた物と
その音楽を合わせた映像を作り、
非共感覚者が同じように真似して
作った作品と比べてみると
圧倒的に前者に支持が集まるという
実験結果があるそうです。
それを判断している人は
もちろん共感覚者だけではないのですが、
選ばれるのは共感覚者の作品です。
芸術的に秀でた人は
そのような共感覚の
持ち主が多いそうですよ。
私も同じ共感覚なら、
聴覚との共感覚が欲しかったです。