Nothing Personal

議論するとき、
相手の論旨ではなく
相手そのものを攻撃している人を
時折見かけます。

 
「若いやつにはわからない」

「お前ごときが何を偉そうに」

「専門家でないやつが何を言う」

 
こんな言葉でねじ伏せようとする、
上司とか、

想像できちゃいますよね。。

自分と違う意見を、
受け入れることができず、
関係ない部分(年齢、立場、性格)を
攻撃し始めてしまうのです。

ある意味、人間の防衛本能なので
仕方がないのですが、
議論が成り立たないことは
言うまでもありません。

 
もちろんこれらの言葉は
発したところでメリットはありません。

嫌われる上司か、
意見を言わない部下を
育てるだけですね。

“攻撃”には至らなくとも
頭の中で同じように考え、
それ以上の議論を
遮ろうとするのも、ほぼ同罪です。

 
何かうまくいっていない物事について

「今までのやり方を変えよう」

といった提案をしたときに、

防衛側(守旧派)が取る手段は
これらが多いのではないでしょうか?

 
これらの議論から
何か良いものが生まれるでしょうか?

 
この状況に陥らない為には、

「議論とはお互いの個人攻撃の場でない」

「同じ目的を達成する為の
意見のぶつけ合いである」

「お互いが持ち寄った意見よりも
より良い結果を得る為の貴重な時間である」

このような意識付けを、
議論の前に確認する事で
防げるのではないでしょうか?

 
ディベート慣れしている欧米諸国では、

「Nothing Personal」

という考え方があります。

「個人は関係無いよ」
「個人については話してないよ」

このようなニュアンスです。

 
彼らは「議論」そのものを
ディベートという形で
学校で教わる文化があります。

そこで身に付けていく
ごく当たり前の議論の要素なのです。

また、議論が白熱し
個人攻撃に向かいそうな時は、
議長や第三者がこの言葉を挟み、
その場を落ち着かせます。

 
“今にも殴り掛かりそうな、
ものすごい形相の怒鳴り合い”

をしていた2人が、
会議後のランチで
楽しそうに語り合っていた

なんてことも日常茶飯事です。

 
「Nothing Personal」の精神が
ベースにあるからこそ、
お互いを尊重し合えており、
議論が個人攻撃にならないのです。

 
同じような考え方が日本人にも根付くと、
もっともっとクリエイティブな
世の中になっていくのではないかと、、、

 
 
そう思わせられることが多い今日この頃です。